巣鴨界隈の紹介 高岩寺 ①

8月 18, 2019


高岩寺① 何故「とげぬき地蔵」なのか? 



アルプスシューズが所属する
巣鴨地蔵通り商店街のある道は元々
江戸時代の五街道のひとつ、中山道です。

当店の前にあって「とげぬき地蔵さん」と親しみを持って
呼ばれる高岩寺は慶長元年 (1596)江戸湯島に開かれその後
明暦の大火(1657)で全焼、上野 下谷屏風坂に移りました。
明治24年(1891)区画整理のため現地に移ってきたので
江戸時代の参勤交代や皇女和宮の下向の時にはありませんでした。


なぜ「とげぬき地蔵」というのか?

正徳三年(1713)のこと、江戸小石川の田付又四郎という人の妻は、
日頃から地蔵尊を信仰していましたが、ひとりの男児を出産してのち
思い病の床についてしまいました。
諸方の医者が手当をしたが甲斐なく、ついには「怨霊のたたり」
とあきらめて死を覚悟する始末です。そこで田付氏は、
子の上は以前から信仰していた地蔵尊にすがるほかはないと、
熱心に祈願を続けていますと、ある日黒衣の僧侶が田付氏の枕元に立ち
「私の像を一寸三分に彫刻して川に流しなさい」との言われました。田付氏がすぐにできないと答えると「あなたに印像を与えよう」といわれます。
目覚めてみると、枕元に小さな木片があり、よく見ると平らな
所に地蔵菩薩のお姿がある「霊印」がありました。さっそくこの霊印に朱肉を付けて
一万体の紙片「御影(おすがた)」をつくり両国橋から隅田川に浮かべました。
翌朝妻の夢に死魔が現われたが袈裟つけた僧が錫杖で突出しました。
その後妻の病気は日一日と回復し無病になりました。

この霊験に関心し田付氏から地蔵菩薩の「御影」を授かった西順という僧がいました。
正徳五年のある日西順が出入りする毛利家の女中があやまって
針を飲み込んで苦しんでいました。西順が懐中より御影を水と一緒に
飲ませたところ地蔵菩薩の御影を貫いた針が吐き出されたということです。

このお話が「とげぬき地蔵」の由来です。

この霊験が江戸中の評判となり「はやり地蔵」と評されるようになりました。

以来「御影(おすがた)」高岩寺本堂にて参拝者に授与されています。








営業時間: 9:00-18:00
営業日:年中無休
所在地:〒170-0002 東京都 豊島区巣鴨3-18-17
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