巣鴨界隈の紹介 高岩寺 ③
8月 25, 2019
巣鴨で「はやり地蔵」を再興させてのは誰が?いつ頃?
下谷屏風坂(上野駅前、現岩倉高校とその周辺)から区画整理の為、
明治24年(1891年)巣鴨に移った頃は、
一面畑で人家はまばらだったそうです。
下谷屏風坂(上野駅前、現岩倉高校とその周辺)から区画整理の為、
明治24年(1891年)巣鴨に移った頃は、
一面畑で人家はまばらだったそうです。
明治36年山手線巣鴨駅開業した時、その汽笛に驚いて
ニワトリが卵を産まなくなったという苦情が出たくらい
周り農家のほかには何もなかったのでしょう。
現住職の曽祖父 来馬道雄住職が23歳で就任すると
「とげぬき地蔵」と大書きした傘を雨の日に巣鴨駅に寄託したり
縁日を月1回から月3回(4日、14日、24日)に増やしたり
縁日に露店を誘致するなど積極的な経営施策をしたそうです。
このような営業努力が下谷屏風坂時代に
「とげぬき地蔵」伝説を江戸中に知らしめ、「はやり地蔵」と
してにぎわった高岩寺が現所在地の巣鴨でも復興し
次第に人気のスポットになって行きました。
ニワトリが卵を産まなくなったという苦情が出たくらい
周り農家のほかには何もなかったのでしょう。
現住職の曽祖父 来馬道雄住職が23歳で就任すると
「とげぬき地蔵」と大書きした傘を雨の日に巣鴨駅に寄託したり
縁日を月1回から月3回(4日、14日、24日)に増やしたり
縁日に露店を誘致するなど積極的な経営施策をしたそうです。
このような営業努力が下谷屏風坂時代に
「とげぬき地蔵」伝説を江戸中に知らしめ、「はやり地蔵」と
してにぎわった高岩寺が現所在地の巣鴨でも復興し
次第に人気のスポットになって行きました。